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日本遺産 せとうち備讃諸島石の島 

11 住み続けられるまちづくりを
ページID:0001859 更新日:2022年12月22日更新 印刷ページ表示

「知ってる!?悠久の時が流れる石の島~海を越え、日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」

 令和元年5月20日、笠岡市・丸亀市・土庄町・小豆島町が共同で申請していた、せとうち備讃諸島をテーマとする「石の島」のストーリーが日本遺産に認定されました。

 東京国立博物館で、認定証交付式が行われ2市2町の首長が出席しました。

日本遺産とは

 日本各地に存在する有形・無形の文化財を、その地域の歴史的背景にからめながら「ストーリー」にまとめたものを文化庁が認定するもので2015年に始まり、これまでに四国遍路などが認定を受けています。

 詳しくは、日本遺産ポータルサイト<外部リンク>をご覧ください。

 せとうち備讃諸島日本遺産推進協議会ホームページ せとうち石の島<外部リンク>

PR映像

 日本遺産備讃諸島石の島「丸亀市・塩飽諸島編」(日本語<外部リンク>英語<外部リンク>

 日本遺産備讃諸島石の島特別篇「大坂城石垣普請~海を渡った巨石~」(日本語<外部リンク>英語<外部リンク>

 知ってる!?悠久の時が流れる石の島(日本語<外部リンク>英語<外部リンク>

ストーリーの概要

 瀬戸内備讃諸島の花崗岩と石切り技術は、長きにわたり日本の建築文化を支えてきた。日本の近代化を象徴する日本銀行本店本館などの西洋建築、また古くは近世城郭の代表である大坂城の石垣など、日本のランドマークとなる建造物が、ここから切り出された石で築かれている。島々には、400年にわたって巨石を切り、加工し、海を通じて運び、石と共に生きてきた人たちの希有な産業文化が息づいている。世紀を越えて石を切り出した丁場(ちょうば)は、独特の壮観な景観を形成し、船を操り巨石を運んだ民は、富と迷路のような集落を遺した。今なお、石にまつわる信仰や生活文化、芸能が継承されている。

広報丸亀令和元年7月号特集

表紙[PDFファイル/638KB]
2~3ページ[PDFファイル/724KB]
4~5ページ[PDFファイル/844KB]

ストーリーの構成文化財(2市2町で45ある構成文化財のうち丸亀市関係分)

位置図[PDFファイル/410KB]
一覧[PDFファイル/211KB]

石切りの歴史

11 塩飽本島高無坊山石切丁場跡
12 年寄の墓
13 木烏神社鳥居
14 石の里資料館収蔵資料

石の産地を支えた海運

22 塩飽勤番所
23 笠島集落
24 千歳座
25 波節岩灯標
26 石蔵(旧波節岩灯標脂油庫)
27 尾上邸

石とともに生きる 生活文化

41 王頭山(王頭砂漠)
42 心経山

11 塩飽本島高無坊山石切丁場跡の画像
11 塩飽本島高無坊山石切丁場跡

笠島集落の写真
23 笠島集落

尾上邸の写真
27 尾上邸

王頭山(王頭砂漠)の写真
41 王頭山(王頭砂漠)

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