城山城跡

国指定文化財 記念物 史跡
城山(きやま)城跡(昭和26年6月9日指定)

万葉人の夢のあと

画像:城山(きやま)城跡丸亀城三の丸月見櫓跡から東を眺めると、飯野山(讃岐富士)の向こうに標高約462mの高原状の山「城山(きやま)」が見える。
城山には城山長者の伝説がある。瀬戸内に逃げ込んだ悪魚退治をした日本武尊(やまとたけるのみこと)の子武殻王(たけかいこおう)(讃留霊王(さるれおう))の子孫が城山長者で、城山の山頂に立派な屋敷を建てて住んでいた。長者には足の不自由な一人娘がいて、大金をつぎ込んで車道(くるまみち)を造り、娘は車に乗って毎日車道からの景色を楽しみ、散歩したという。

西暦662年に白村江(はくすきのえ)の戦いで新羅・唐に破れた日本は、西日本の防備を固めるため、九州北部から瀬戸内沿岸に次々と山城(やまじろ)を築いた。
その築造年代や立地から、これらの山城を「古代山城」と呼んでいる。
城山の山頂部とその付近は、約1300年以上も前に築かれた古代の朝鮮式山城の跡である。城跡の遺構は、朝鮮百済の公州山城や扶余の半月城、林川の聖興山城と同じ築き方をしている。高松カントリー倶楽部の敷地内に石塁や城門、水門などが残り、山頂付近にマナイタ石やホロソ石と呼ばれる石造物が点在する。これらの石造物は城門の基礎石と考えられており、城山長者の伝説にある車道も見られ、標高400m前後に第一車道、100~150mほど下がって第二車道が数キロにも及ぶ。丸亀市側にはマナイタ石と土塁や車道が残る。ただ、頂部礎石群が不定間隔で散在する状況から、城山城の未完成説もある。

画像:城山遺跡地図『日本書紀』(667年)に屋島城(やしまのき)を築いたことが記録されているが、城山の記録はなく、大正13年に初めて福家惣衛(ふけそうえ)により、「城山城址」として『史蹟名勝天然記念物調査報告』に概要が報告された。
近年、屋島城の城門調査や岡山の鬼ノ城などは整備がなされ、古代山城の解明が進んでいる。当時、城内には建物や倉庫を築き、周囲に石塁や土塁を巡らせ防備し、城の入口には城門を構えていた。
城山はまだ、不明なことが多い。この東山麓は坂出市府中町で、正史に記録はないが、讃岐国の国府があったとされる場所である。備讃瀬戸を眼下に見ることのできる城山は国府の防備を担う重要な山城と推測される。

マナイタ石
マナイタ石

礎石群
礎石群

車道
車道

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