塩飽勤番所

海の政庁

画像:朱印庫塩飽勤番所跡は、本島港から徒歩10分の所にあり、表に堀を巡らせ、敷地(1,497m²)の三方を約42mの土塀で囲み、南に向いた正面を片側番屋の長屋門としている。敷地内には、入母屋造り・本瓦葺き(むくり型)の主屋と、朱印庫、番人部屋などの付属建物がある。主屋は、塩飽の歴史資料館として公開。信長、秀吉、家康からの朱印状や、徳川家親藩の高松藩と塩飽領の魚場争いの際に大岡越前守忠相らが署名した漁場の裁許書(縦1.82m、横2.21m)、咸臨丸に乗船した塩飽水夫たちが米国から持ち帰った品々などを展示している。

画像:主屋
主屋

塩飽諸島は古来、秀吉、家康の朱印状により、1250石の領地を与えられた650人の船方衆が、明治に至るまで治めてきた土地柄である。船方衆は大名に対し「人名(にんみょう)」と呼ばれ、その組織を島中と呼んだ。人名の代表者が名字帯刀を許された4人の「年寄(としより)」で、1年交代で朱印状を保管し、自宅を役所として政務を執ってきた。

寛政元年(1789)、惣兵衛・小右衛門の両名が代表し、島中の窮状と公役の軽減を幕府に直訴した結果、島治の改革が実施される。世襲による旧年寄に代わり、塩飽全島から3人の新年寄を入札で選出し、寛政10年に勤番所が建築され、年寄が勤務することになった。幕府の認可を受けてから、建築し朱印状を移すまでに5年を要した。

画像:長屋門
長屋門

明治初期の廃藩により、塩飽領が解体する。11村に分散し、勤番所は本島村役場となり、昭和29年、丸亀市と合併後は本島支所に転用された。45年7月、国の史跡指定を受け、52年3月に復元され一般公開、本島観光の拠点になっている。現在、市からの委託により、塩飽勤番所顕彰保存会が運営しているが、所有者は今も塩飽人名650人である。
(文・入江幸一)

画像:朱印庫
朱印庫

画像:信長の朱印状
信長の朱印状

画像:家康の朱印状
家康の朱印状

見学について

時間 9:00~16:00
休館 月曜日および年末年始
料金 大人200円・小人100円
問い合わせ 0877-27-3540

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