岡田おどり

プロフィール

画像:岡田おどり岡田おどりは、戦後まで「盆楽会」の名称で伝承されてきましたが、昭和47年に綾歌町民俗無形文化財として指定され「岡田おどり」と改称し、保存会を設立しました。踊りは、「岡田おどり」を中心に「一合まいた」「島おどり」「ハタキ」の4曲で構成されています。「岡田おどり」がゆったりとしたリズムであるのに対し、少人数で踊る「ハタキ」は動きの激しいアップテンポの踊りです。
もともと岡田地区を中心に踊り継がれてきましたが、現在は町内全域から踊り手が参加しています。
平成元年に湯浅みつ子さんの歌でレコード化し、各種イベントに参加しながら後継者育成に努めています。

最近の出場イベント

平成9年 高知民謡まつり(高知県・高知市)
平成9年 第12回国民文化祭・かがわ '97「民謡・民舞の祭典」(香川県・綾歌町)
平成11年 歌舞伎の会(岡山県・岡山市)
平成11年 高知民謡まつり(高知県・高知市)
平成15年 第45回中国・四国ブロック民俗芸能大会(岡山県・倉敷市)
平成16年 第19回国民文化祭・ふくおか2004「民謡・民舞の祭典」(福岡県・田川市)

由来

画像:岡田おどり阿讃山脈から北に流れる台地の末端に位置する岡田の村々は、昔から水不足で、農民は毎年のように干害に苦しんできました。
藩政時代、生駒氏の家臣 西嶋八兵衛が讃岐の各地にため池を築いていた寛永年間(1624~1643)のことです。岡田上村政所久次郎は、水田の少ない村の将来を憂え、新しい池を築いて岡田の地に水を引くことを決意しました。苦労の末、ようやく片岡郷炭所の炭焼長者の里(現在の満濃町大字炭所東)に適地を見つけた久次郎は、私財を投げ打ち、2年の歳月をかけて、寛永10年(1633)現在の「亀越池」を築きました。
池を築き、岡田の地に水を引くまでには池敷の買収、住民の移住、水路の開鑿(さく)、水交渉など言葉では表せない苦労がありました。
「岡田おどり」は、村人たちが久次郎翁の労苦を想い、遺徳をしのんで踊ったのがその始まりと言われ、踊りの振り付けも、謡の節まわしも昔のまま伝わっています。毎年8月には追悼盆踊りとして「旧岡田上村政所久次郎紀功之碑」前で踊るのが習わしとなっており、現在まで踊り継がれてきました。

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