吉岡神社前方後円墳 (昭和53年11月28日 市指定史跡)

青ノ山南麓に鎮座する太古の墓

画像:青ノ山青ノ山山中には、先人たちによって多くの遺跡が築かれてきた。
遺跡のほとんどが古墳と称される太古の権力者たちの墓である。これらの古墳は、青ノ山の山頂公園付近で多く見られるほか、北麓や南麓にも群集が見られる。現在までに20基ほどの古墳が確認され、そのほとんどは古墳時代後期に築かれた横穴式石室という埋葬用の部屋を持つ中小円墳である。
南に延びる丘陵の先端付近に吉岡神社が鎮座するが、その本殿の裏山に青ノ山唯一の前方後円墳が築かれている。これは、「吉岡神社前方後円墳」と称され、4世紀初頭の古墳時代前期に築かれたものであり、他の古墳とは性格が異なる。
弥生時代が終わるころまでは、大型の墓造りは丸亀平野の南部地域に集中していることから、当時の豪族たちはそれらの地域を拠点としていたことが分かる。吉岡神社前方後円墳は、それらに少し遅れて築造されたものであり、北部地域に有力な権力者が出現したことを示すものである。
吉岡神社前方後円墳は全長が55.6mあり、当時、丸亀平野に築かれた前方後円墳では最大規模を誇る。同時期に築かれた他地域の前方後円墳と比較すると、高松平野の高松茶臼山古墳、猫塚を除くと50mを超える規模の古墳は築かれていない。これらから、この古墳の被葬者は、丸亀平野北部を治める権力者だったと考えられる。

画像:地図平成3、4年に発掘調査を行った結果、北側に配置する後円部の中心に竪穴式石室という、古墳の上部から掘り込んだ埋葬施設が確認された。石室は安山岩の板石を積み上げたり、敷き詰めたりして築かれている。大きさは、長さ5.5m、幅0.8m、高さ1mである。石室内からは、銅鏃、鉄鏃、刀子、ひすい製勾玉、碧玉製管玉や壺形土器などが出土している。
江戸時代に盗掘を受けていることも分かっており、盗掘時に取り上げられた人骨が壺に入れられた状態で残されていた。骨には赤色顔料が多量に付着し、当時の埋葬様式をうかがうことができる。
この発掘調査の成果から、被葬者は、日本の中心であった畿内とのつながりもあったことが分かる。

画像:竪穴式石室内部の様子
竪穴式石室内部の様子

画像:出土した副葬品(市立資料館にて展示)
出土した副葬品(市立資料館にて展示)

動画を見る

ページ上に戻る