宝幢寺塔礎石と宝幢寺瓦 (昭和46年8月27日指定)

郡家町の仏教興隆のあと

仏教は、538年(一説には552年)に朝鮮半島の百済から日本に伝来した。
用明2年(587)には、蘇我氏が、日本最古の寺院である法興寺(現元興寺、飛鳥寺)を建てた。
聖徳太子は四天王寺や法隆寺などの寺院を建て、仏教を広めた。
以後、有力豪族も寺院を造営するようになり、全国各地で寺院が建てられるようになった。
世界最古の木造建造物の法隆寺など、平安時代以前に建てられた寺院を「古代寺院」と呼んでいる。
丸亀市郡家町下所にも古代寺院があった。「宝幢寺」と呼ばれ、在地の有力豪族により建てられたと考えられる。この豪族は、古代那珂郡衙(郡役所)の郡司も務めていたと推定される。
宝幢寺は、戦国時代末ごろの戦乱により焼失したと伝えられ、寺跡は江戸時代になるとため池となり、宝幢寺下池、上池(辻池)、仁池の三つの池が築かれた。冬場に宝幢寺下池の水が抜かれると、池底に塔心礎(塔中心にある塔礎石)を見ることができる。
これまでの調査によると、塔心礎は当時から動いていないが、建物礎石は池堤の木樋の補強材に転用されていた。

画像:宝幢寺塔心礎と建物礎石 塔心礎

塔心礎は花こう岩で、高さ65cm、東西2.30m、南北1.85m、周囲は6.90mある


画像:出土品(古瓦、水煙)出土品は、主に古瓦で、7世紀後半から平安時代ごろの物と推定される。軒先を飾る軒丸瓦は蓮の花の文様を模し、丸瓦、平瓦の中には、藤原宮に瓦を供給した三豊市三野町の宗吉瓦窯で作られた瓦もあった。
また、池中から掘り出された泥吹観音と呼ばれる十一面観音立像が、高松市国分寺町の鷲峰寺に祀られており、塔の最上部付近を飾っていた水煙の破片は、市立資料館に展示している。
市指定文化財である宝幢寺瓦は、郡家小学校に保管されており、市立資料館や三豊市の宗吉かわらの里展示館でも古瓦を見ることができる。

画像:地図

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