栗隈城跡(湯舟城跡)(平成16年9月27日 市指定史跡)

良好に保存される中世城郭

画像:地図幕府と地方武士との間に様々な摩擦が生じることにより、1333年に鎌倉幕府は滅亡する。後醍醐天皇の南朝と足利尊氏を中心とする北朝の対立で南北朝時代になり、全国各地で内乱が起き、城館が多く築かれた。
栗隈城は、白峰合戦で軍功をあげた詫間の海崎城主が長尾大隅守元高と名乗り、城山山頂付近に西長尾城を構え、その支城として配置した城の一つである。栗隈城には、四男の田村上野介親光が入り、その後、六男が継いだ。鵜足・那珂郡南部で勢力を誇っていた長尾一族は、1580年ごろ、土佐の長宗我部元親軍の中讃攻略に伴い、西長尾城主の座を元親の重臣・国吉甚左衛門に譲った。
栗隈城跡は、栗熊東の市谷池南東奥で、大高見峰から北に下った標高約205メートルから160メートルにかけての稜線上に位置する。この場所には「湯舟」という地名があり、湯舟城とも呼ばれる。延長約300メートルの範囲に大小の連続した曲輪(削平地)などが残っている。主郭部の前背面には、斜面を切り立てて急勾配をつけた大きい切岸が設けられている。さらに、最南端の本丸の前後には複数の堀切が設けられ、強固な守りだったことが伺える。
北側には放射線状に尾根が派生し、それぞれに曲輪列を配置。その一つは城主田村上野介の居館(田村城)とされ、規模も他をしのいでいる。
栗隈城跡は後世の手がほとんど加えられず、良好な状態で当時の様子を保っている。

画像:栗隈城跡(左の高まりが本丸)

画像:地図

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