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丸亀城の歴史
丸亀市の中心市街地の始まりは、慶長2年(1597年)、生駒親正(いこまちかまさ)・一正(かずまさ)による亀山への築城に始まります。このころの城造りは、織田信長の築いた安土城や豊臣秀吉が築いた大坂城を手本に、城郭だけでなく武家屋敷や城下町までも濠や土を盛った土塁(どるい)で囲み防御した「総構(そうがまえ)」となっています。生駒氏は慶長6年(1601年)に宇多津より人を移住させています。今の御供所町、北平山町、西平山町です。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣により豊臣氏が滅び、徳川氏の天下となります。徳川幕府は武家諸法度を制定し規制を行います。元和元年(1615年)の一国一城令により生駒氏は、高松城を残し、丸亀城を廃城しました。
生駒氏の丸亀城絵図は、前田育徳会尊経(そんけい)閣文庫や国会図書館に残っています。絵図によると、天守は山上の最高所中央部に建っていました。また、「縄張り」と呼ばれる城の形も現在とは違っています。平成5年度の天守横の石垣修理時に、石垣に埋もれた生駒氏時代と推定される石垣が発見されています。これらの絵図に武家屋敷や城下町の記載はありません。
正保2年(1645年)、山崎氏が幕府の許可を得て廃城となっていた丸亀城を再築するときに作成した絵図が、国立公文書館に残っています。正保城絵図(しょうほしろえず)と呼ばれる絵図で、この絵図には城郭・武家屋敷・城下町の記載があります。
山上の縄張りは現在の形とほぼ一致し、扇の勾配の高石垣は、山崎氏の手によるものです。
この絵図には古町(こまち)と書かれた箇所があります。生駒氏時代からある町で今の御供所町、北平山町、西平山町、本町、南条町、塩飽町・城西町二丁目・中府町五丁目の一部がこれに当たります。また、大手町を除く番丁の武家屋敷地は当時の道路や区画が今も残っています。
西暦 | 和暦 | 記事 | 領主・藩主 |
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1532~1555年 | 天文年間 | 丸亀山、奈良氏の支配下にある。『南海通記』 | |
1587年 | 天正15年 | 生駒親正、讃岐国に封ぜられる。 | 生駒雅楽頭親正 |
1597年 | 慶長2年 | 生駒親正・一正父子丸亀城築城に着手する。 | |
1602年 | 慶長7年 | 生駒一正、丸亀城から高松城へ移り、丸亀城に城代を置く。 | 生駒讃岐守一正 |
1615年 | 元和元年 | 一国一城令で丸亀城廃城となる。 | 生駒壱岐守高俊 |
1640年 | 寛永17年 | 生駒氏所領没収、出羽国由利郡矢島に転封となる。 伊予大洲藩主加藤氏の預かりとなる。 |
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1641年 | 寛永18年 | 天草郡、富岡城主山崎家治、西讃岐5万石余の藩主となる。 | 山崎甲斐守家治 |
1642年 | 寛永19年 | 山崎家治、生駒氏城跡地に城地決定。 | |
1643年 | 寛永20年 | 山崎家治、当年の参勤交代を猶予され、幕府から銀300貫を得て、丸亀城を再築する。 | |
1645年 | 正保2年 | 幕府の命により丸亀城の絵図を提出する。(正保城絵図) | |
1649年 | 慶安2年 | 幕府、山崎氏の丸亀城修復、普請等の指示を出す。 | 山崎志摩守俊家 |
1657年 | 明暦3年 | 山崎氏絶家。大洲藩主加藤氏在番する。 | 山崎虎之介治頼 |
1658年 | 万治元年 | 京極高和、丸亀藩主となる。石高6万67石。 | 京極刑部少輔高和 |
1660年 | 万治3年 | 丸亀城天守完成する。 | |
1670年 | 寛文10年 | 丸亀城大手を北の現在地に整備する。 | 京極備中守高豊 |
1688年 | 貞亨5年 | 下金倉村の海浜、中洲へ京極家別館をつくる。(現中津万象園) | |
1694年 | 元禄7年 | 高或3代藩主となり、庶兄高通に多度津1万石を分ける。 | 京極若狭守高或 |
1768年 | 明和5年 | 画家俳人与謝蕪村、富屋町妙法寺滞在。 | 京極能登守高中 |
1777年 | 安永6年 | 天守鬼瓦に銘有り。翌年、城内の普請完成。 | |
1789年 | 寛政元年 | 十返舎一九、丸亀に上陸し、善通寺・金毘羅参詣をする。 | |
1806年 | 文化3年 | 福島湛甫を築く。 | |
1833年 | 天保4年 | 新堀湛甫を築く。 | 京極長門守高朗 |
1869年 | 明治2年 | 京極郎徹、版籍を奉還する。城内屋敷出火し、焼失する。 | 京極佐渡守郎徹 |
1874年 | 明治7年 | 陸軍省の所管となった丸亀城の番丁に丸亀兵営が完成する。 | |
1876~1877年 | 明治9~10年 | この頃に城内の櫓、多聞が取り壊される。 | |
1919年 | 大正8年 | 丸亀市が、山上部を借地して公園として開設する。 | |
1926年 | 大正15年 | 国有地の一部が市へ払い下げられる。 | |
1943年 | 昭和18年 | 丸亀城天守国宝となる。 | |
1945年 | 昭和20年 | 内堀以内の城跡が公園として一般開放される。 | |
1948年 | 昭和23年 | 外堀の埋め立てが始まる。 | |
1950年 | 昭和25年 | 天守の解体修理が完成する。天守重要文化財となる。 | |
1953年 | 昭和28年 | 丸亀城跡が国指定史跡となる。 | |
1957年 | 昭和32年 | 丸亀城大手門が重要文化財となる。 | |
1963年 | 昭和38年 | 丸亀城玄関先御門等が県指定文化財となる。 大手門の修理が完成する。 |
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1968年 | 昭和43年 | 玄関先御門等の修理が完成する。 | |
1976~1978年 | 昭和51~53年 | 第1次石垣修理工事。 | |
1987年 | 昭和62年 | 天守化粧直し。 | |
1990年 | 平成2年 | 史跡丸亀城跡保存整備事業が始まる。 | |
1991年 | 平成3年 | 第2次石垣修理工事が始まる。 | |
1991~1992年 | 平成3~4年 | 長崎櫓跡石垣修理工事 | |
1993年 | 平成5年 | 本丸北石垣修理工事 | |
1993~1994年 | 平成5~6年 | 本丸・二の丸整備。 | |
1994年 | 平成6年 | 帯曲輪南石垣修理工事 | |
1995~1996年 | 平成7~8年 | 帯曲輪西石垣修理工事 | |
1997年 | 平成9年 | 築城400年祭が行われる。 | |
1998~2002年 | 平成10~14年 | 三の丸東張出石垣修理工事 | |
2005年 | 平成17年 | 土堀改修工事 | |
2011~2012年 | 平成23~24年 | 野面積み石垣修理工事 | |
2015年 | 平成27年 | よみがえる丸亀城~丸亀歴史体感アプリ~作成 | |
2016年 | 平成28年 | 三の丸坤櫓跡石垣修理工事に着手 |