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千歳座

ページID:0001031 更新日:2022年12月22日更新 印刷ページ表示

画像:千歳座木烏神社の左奥には「千歳座」と呼ばれる芝居小屋がある。文久二年(1862)に建てられたもので、全国で特に重要な舞台30件の中のひとつに数えられる。
間口17.6m、奥行8.4mの瓦葺き入母屋造りで、総建坪は129平方メートル、舞台の中央には、直径約8mの回り舞台や奈落が、天井にはぶどう棚まであしらった、遜色のない立派な芝居小屋であり、平成元年の修復工事の柿落(こけらおとし)興行には、東京歌舞伎の名優、中村富十郎、沢村藤十郎らが舞台を踏んでいる。

木烏神社境内の奥、本殿横に千歳座がある。文久2年(1862)に建てられた入母屋造、本瓦葺の芝居常小屋で、全国で特に重要な舞台30件の中に挙げられている。
間口17.4m、奥行8.3mで東面し、総面積は129平方メートルである。中央に直径7.9mの皿回し式の回り舞台があり、天井にはぶどう棚、上手下手に大臣柱(脇柱)、ちょぼ床、下座が設けられている。平常は締め切っているが、正面上部が板戸、下部が「ぶちょう」になっており、ちょうつがいの付いた「ぶちょう」を前に倒すと、10.9mの突き出し舞台になる。
興行の時は、神社の境内が観覧席となる。楽屋はなく、木烏神社の拝殿を利用していたようである。以前は、木烏神社の秋祭りに行う”地芝居”と、麦の収穫期には興行師による”麦こなし芝居(受け芝居)”があった。
平成元年の修復工事の柿落とし興行には、東京歌舞伎の名優中村富十郎、澤村藤十郎らが舞台を踏んでいる。

画像:柿落とし興行
柿落とし興行

画像:パンフレット
パンフレット

地芝居

村の若い人達が、お盆のあと芝居の練習を始め、十月の祭りの日に芝居をした。練習は、振り付け師を呼んで、30日から40日間くらい行い、道具方、幕引、役者の人達15人くらいは島の人達で、出語、囃し方、床山の人達は、プロの人達に頼んでいたそうだ。そのため、見物料は無料だったが、知り合いの人に花を打っていた。花は「1,000びき、500びき」とい うふうに読み上げていたそうだ。

麦こなし芝居(受け芝居)

春の麦の刈り入れ前に、島外から船で役者が渡って来て、本格的な芝居を見せていた。江戸時代には、歌舞伎だったが、明治以降は、新派劇、喜劇なども行っていた。長くても3日間くらいの興行で、見物料金はむしろ1枚幾らで支払っていた。ひいきの役者には、花を打っていた。この時は、遠く多度津あたりからも見物人が来ていたそうだ。

本屋の梁組

画像:本屋の梁組舞台の天井はむき出しで、芝居小屋特有の大臣柱やぶどう棚が完備している。ぶどう棚は丸竹を格子状に組んだもので、滑車が下げられ、芝居の効果・演出を助ける重要な場所である。

回り舞台下の土饅頭と石製の軸受

画像:回り舞台下の土饅頭と石製の軸受千歳座の回り舞台は直径7.9mある。回り舞台は、地下の岩盤を土饅頭状に堀り残して作った軸受けで支えられる。回り舞台は数ヶ所に設けられたコロによって回りやすいよう工夫されている。

回り舞台の奈落

画像:回り舞台の奈落千歳座の回り舞台の下の奈落は、点検等のために堀窪めてある。その壁面は、石垣を積んでていねいに土留めがしてある。

下手大臣柱にとりつくハヤシ座

画像:下手大臣柱にとりつくハヤシ座下手大臣柱と下屋の間に床を張って設けられたハヤシ座(お囃子の演奏場所)。上手側の同位置には、チョボ座(義太夫の演奏場所)も設けられている。

舞台図

画像:舞台図

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