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木烏神社
本島の玄関口、泊浦にある小烏神社は泊浦の産土神である。日本武尊(やまとたける)が、瀬戸内海に大きな船をのみ込んでしまう悪魚を退治するために、船に乗って瀬戸内海を渡っていたところ、ものすごい深い霧が出てきた。その時、どこからか一羽の烏が飛んできて、船の案内をしてくれ、飛んで帰ったところがこの場所であり、その烏を祭ったことから木烏神社という名づけられた。祭神は大国主神である。
境内地内には鳥居、制札場、芝居小屋の千歳座などの市指定文化財がある。
鳥居
泊の海岸にある木烏神社の正面に、海に向かって立っている。笠木と柱に特徴があり、普通の鳥居の笠木は両端を斜めに断ち切ったようになっているが、この鳥居の笠木の両端は蕨手状(わらびてじょう)に丸く盛り上げている。
柱の刻字を見ると、この鳥居は、寛永4年(1627)に塩飽島の年寄宮本伝太夫道意の子半右衛門正信が建てたもので、薩摩の石工紀加兵衛(きのかへえ)と地元の石工九郎兵衛によって製作されている。
制札場
木烏神社の境内にあり、江戸時代に塩飽を統治していた勤番所からの触れ書、法度、掟書などを掲示し、一般に周知した場所である。正面は開放し、下半分に角格子があり、奥の壁に掲示していた。
塩飽の島々にはかつて24の制札所があり、この種の大型のものは泊と笠島にあった。