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金毘羅街道

ページID:0003064 更新日:2022年12月22日更新 印刷ページ表示

すべての道はこんぴらさんへ

画像:金毘羅街道の版画
「一生に一度は、こんぴらさんへ」と金毘羅参りが盛んになっのは江戸中期以後のこと。
丸亀、多度津、高松、阿波、伊予・土佐街道の金毘羅五街道のうち、最も栄えたのが丸亀街道でした。当時、自由に旅することを許されていなかった庶民にとって、金毘羅さんを目指す旅は、まさにつかの間の日常から開放される夢の旅・・・。先人たちが残した足取りをたどりながら、あなたも歴史の風に吹かれてみませんか?
 丸亀街道は、出発点の太助灯籠から琴平の高灯籠までの150丁(約12Km)の道のり。街道沿いのあちこちに建てられた丁石や道標には、起点からの距離が記されており、金毘羅さんへと近づく参拝者の万感の思いが秘められています。

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こんぴらさんへの道しるべ

地図

金毘羅さんあれこれ

金刀比羅宮

画像:御本堂
「こんぴらさん」の名で親しまれている金刀比羅宮は、仲多度郡の琴平山に鎮座し、住古には大物主神(おおものぬしのかみ)を祀り「琴平宮(ことひらのみや)」と称しました。中古になると「金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)」と改称し、永万元年(1165)相殿(あいどの)に崇徳天皇(すとくてんのう)を合祀しました。その後、神仏分離により現在の「金刀比羅宮」となったのは、明治22年(1889)のことです。
今も、農業・漁業・医薬・技芸など広汎な御神徳を持つ神様として、全国の人々の厚い信仰を集めています。

代参あれこれ~こんぴら狗(いぬ)と流し樽

画像:代参犬に扮した見習い警察犬「きなこ」と「こむぎ」画像:「流し樽」の奉納

かつて伊勢・京参りとともに庶民の三大行事の一つとしてにぎわった金毘羅参り。当時金毘羅さんには、直接参拝することがかなわない人々のために、代わってお参りをする代参という習わしがありました。
「江戸っ子だってね。すし食いねえ」の名ゼリフでお馴染みの森の石松。清水の次郎長は、日ごろ信仰する金毘羅大権現に願を掛け、石松に代参させたそうです。
このほか明治以前には、江戸を中心とした関東地方に飼犬を代わりに参拝させた”こんぴら狗”という習俗がありました。犬は金毘羅参りの道中、多くの人々の世話を受けながら、主人の代参を立派に務めたといいます。
また、船の安全を祈って、初穂料や清酒を入れた樽を海に流し、それを見つけた漁師が流し主に代わって奉納するという”流し樽”の風習もありました。

伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい

画像:全国シェアの約90%を誇る丸亀うちわ

金毘羅参りの土産物として親しまれたのが、丸亀うちわです。こんぴら船で全国から訪れた人々が持ち帰り、その名声を高めました。丸に金の字を入れた金印の渋うちわは、寛永10年(1633)に金毘羅大権現の別当、金光院住職宥睨(ゆうげん)が、金毘羅宮のご紋である天狗の葉うちわから思いついたのが始まりといわれています。
その後、うちわづくりは丸亀京極藩が藩士の内職として奨励したことから急速に発展し、現在は国の伝統工芸品にも指定され、風情ある贈り物として人気を集めています。