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夏休み「戦争体験」講話会(令和元年)

ページID:0036246 更新日:2025年7月25日更新 印刷ページ表示

夏休み「戦争体験」講話会

今後二度と戦争を繰り返さないよう、先の戦争体験者から戦争を知らない世代へと、戦争の悲惨さや平和の尊さなどについて語り継いでいくため、「戦争体験」講話会を開催しました。

太平洋戦争末期の綾歌町で、当時、小学生だった吉川弘子さんが体験されたことをお話しいただきました。

高松市を空襲するため讃岐山脈から現れるアメリカ軍機の怖かったこと、空襲警報が今でも頭から離れないこと、夏休みの草刈の宿題の大変さ、先生の出兵のこと、高松空襲時の綾歌からの光景、空襲後の高松市の状況や琴電で琴平方面へ移動する人々の姿など、当時の貧しく、つらかった体験をお話いただき、「私たちは、戦争はしてはいけない、戦争は人を不幸にする」と訴えられました。

参加された皆さんは、短い時間でしたが真剣に吉川さんのお話に聞き入っており、平和の大切さ、命の尊さ、戦争は何があっても絶対にしてはならないということを、みんなで考える大切な機会になったことと思います。

  • 対象 小学生とその保護者
  • 語り部  吉川弘子 様(丸亀市綾歌町)

    題    『七十年前を思う~人前で泣けなかった~ 』

  • 日時  下記日程で、同じ内容のものを2回開催しました。

 (1回目)8月 2日(金曜日)13時30分~14時15分(45分間)

参 加 者:小学生6人 保護者等6人 合計12人

(2回目)8月21日(水曜日)13時30分~14時15分(45分間)

参 加 者:小学生11人 保護者等11人 合計22人

1回目、2回目を合計して34人(小学生17人、保護者等17人)の方が参加されました。

  • 場所 クリントピア丸亀3階 研修室3(土器町北一丁目72番地2)

 

講話会終了後の参加者の感想・意見

  • かなしいおはなしだった。せんそうのせいでひとがたくさんしんでかなしい。4ねんかんつづいてかなしかったですね。にどとせんそうはしないでほしい。(1年生)
  • 3年のときにかぞくをなくしたりしてかなしい人がたくさんいて、それがわたしだと何かいなくでしょう。そんなことがあったらとてもかなしいきもちです。(2年生)
  • 今日は吉川弘子さんのお話を聞いてせんそうっていやだなあと思いました。私は小学生マンガでげんしばくだんのこわさをはじめて知りました。れきしの本でもせんそうのうわさがあったのでせんそうは二度とやってほしくないと思いました。(3年生)
  • 頭の上を敵の飛行機が飛んだらとてもこわいと思いました。食べる物や衣類が不自由で足りないから生きていくのが苦しそうだと思いました。お父さんは戦争に行っているからさびしかったんじゃないかなと思いました。戦争は本当にいけないことだと思いました。平和が続いてほしいと思いました(6年生)
  • テレビの映像や記録などから戦争についての話を知る機会は少なからずあるが、体験した人の生の声を聞くことはめったにないので、よりリアルに当時の辛さ、光景を想いうかべ感じることができた。改めて現代の日本が平和であることの大切さを身に染みて感じた。(10代)
  • 太平洋戦争によって香川県もたくさんの被害を受けたことを知りました。特に食料や生活物資が少なく、とても貧しい暮らしをしていたことを伺い、胸が締め付けられるような思いになりました。後世に「戦争は絶対にしてはいけない」ということを伝え、平和な日本が続いていくことに貢献ししたいと思いました。(20代)
  • 岡田小で教員をしており、子どもたちに話ができることはないかと思い参加しました。70年前の岡田の人たちの思いを子ども達に伝えていこうと思います。(30代)
  • 私の身内の戦争体験者は既に亡くなってしまっていて、誰にも話を聞いたことがありませんでした。結婚し、娘、息子が生まれた今、憲法改正などの話が出始め、何も知らないことへの危機感を覚えました。体験者ご本人の言葉の重みを感じました。私は夫や兄弟、息子を戦場に送りたくありませんし、日本にも他国の戦争に加担してほしくありません。(30代)
  • 一緒に住む祖父母からもこのような話は聞いたことがなく、身近なものとして捉えられていなかった。実体験の話を聞くとその当時の思いや様子が悲惨なことがよく分かった。(40代)
  • 改めて戦争はしてはいけない、何があっても人の命を奪うことはできない。(40代)

(参加者アンケートより抜粋)

 

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