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塩飽諸島
塩飽諸島の中心である本島は塩飽水軍の本拠地でした。塩飽水軍は、豊臣秀吉の天下統一に造船、操船で貢献し、その功により朱印状を授かり、塩飽1250石を人名と称する650人の水夫達で共同統治しました。幕末に太平洋を渡った咸臨丸の乗組員の多くが塩飽の人達でした。島内には、信長や秀吉、家康からの朱印状や古文書も蔵するかつての塩飽水軍の政所、国指定史跡の「塩飽勤番所跡」をはじめ人名の代表者であった「年寄の墓」、古い町並みが残る笠島には長い間、風雪に耐えた家が今なお、海に生きた男たちの息吹きを伝えています。
本島の西に位置する広島は、その名の通り塩飽二十八島中最大の島で、周囲が約19キロあります。
丸亀からの定期船が着く江の浦は、白い砂浜が美しく、夏には海水浴場としてにぎわいます。浜には“英国士官レキの墓”があり、幕末の頃、イギリス軍艦に乗船し瀬戸内海航路を調査していた際に、遠い異国の地で亡くなった士官を偲び、今も島の人たちから四季の花が手向けられています。
また、広島は良質の石材産地として知られ、中でも“青木石”は有名です。島のいたるところで採石丁場を見受けることができ、石を割る槌の響きがこの島の風物詩の一つとなっています。
詳しくはまるがめせとうち島旅ノート<外部リンク>もご覧ください。
塩飽諸島の代表的な島について
観光スポットの詳細
アクセス
フェリー乗り場へは、JR丸亀駅から北へ徒歩5分
さぬき瀬戸しまネッ島<外部リンク>
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